綺麗事ばかりじゃない

日々のモヤモヤ日記~溜め込まずにどんどん吐き出そう~

虐待とは

こんばんは。

今日は真面目に虐待について語ろうと思います。

 

虐待。

嫌な言葉ですよね。

自分はそうじゃない、そうであるはずがない、そうあってはならないと思うのですが、意外と虐待ってかなり身近にあるんです。

 

以前、子どもの反抗期について書いたのですが、始まりは親でも、子どもからの虐待というのもあるんだなと思います。

 

いきなり私事で申し訳ないのですが、うちでは私が虐待されて育ってきたこともあり、よく子どもを殴ったりしていました。

そのときは、罪悪感とか嫌悪感とか、悪かったなとかいうような、後ろめたい気持ちはまったくありませんでした。

 

自分がされてきたことをしているだけで、それが虐待であるならば私はどうなるのか?

と。

 

そして、だいぶ今は変わってきましたが、まだ上記の考えは持っています。

消えません。

 

最近、上の子(小2)の口調が乱暴で、物を投げたり蹴とばしたり殴ったりということが毎日あるのですが、それは私が上の子にやってきたからだとは言い切れない気がします。

 

逃げではありません。

 

少し余談が入ります。ご了承ください。

 

私は3年前のちょうど今頃、実母を60歳で亡くしました。

病気でしたが、ずっと元気だったのに還暦退職間近で倒れ、60歳と半年で亡くなりました。

坂を転げ落ちるように病状が悪化していきました。

私はかなり憔悴し、今なにが起きているのか、何をしたらいいのか、これからどうなっていくのかまったく分からないまま、毎日パニックになっていました。

入退院を繰り返しながらの7か月でしたが、夏まではそこそこ歩けて元気でした。

病院内の売店まで散歩とかもできたのですが、8月以降はもう歩けなくなり、寝返りもできずトイレにも行けないので介護状態でした。

入院していたので私が介護をしていたわけではないのですが、意識もあるしとりあえずまだ生きているので病院食が出るんですね。

それが1食460円なんです。

毎食出るのですが、母は弱っていたため、豆腐のひとかけらもやっと食べて、あとは食べれなかったのを、私はイラついていました。

豆腐ひとかけしか食べなくても460円かかると思ってしまったんです。

 

それで、どうせ食べないのなら食事を切ってしまおうと思い、病院に相談して食事を切ってもらいました。

高額療養費を適用していても、食事や個室代などは実費なので、助成されないのですね。

なので、1か月毎日3食かかる=460×3×30日×4か月(食べれなくなってからの計算)。

個室ではなかったので部屋代はかかりませんでしたが、よくなる兆しもないので、医師からは死亡退院になると言われており、母が一人暮らしをしていたアパートの片付けに大金が流れていきました。

そのうえ私の自宅から遠かったので、お見舞いに行くときの交通費もバカになりません。

一応、点滴もしているのだし食事なんか食べないのだからなくていいだろう、そのうち死ぬのだし。と思っていました。

 

今思えば、食べるか食べれないかに関わらず、食事が出てくることで、朦朧になりつつあった母の意識の中で、「あぁ朝なんだな」や、「もう夜かぁ」という一種のタイムテーブルになっていたのかなと思います。

 

そうこうしているうちに、ちょうど今頃(11月半ば)、亡くなりました。

それまで元気だった母が弱っていく姿を見ていられなくなり、私は9月を最後にお見舞いに行くことができなくなりました。

私には姉がいますが、姉も遠方ですが、そっちも事情があり9月に1度お見舞いに来ただけで、葬式にも来ませんでした。

 

さて、虐待の話に戻ります。

私は母が入院してしばらくは、献身的に支えました。

遠いのに毎日のように子どもを連れてお見舞いに行き(当時下の子は1歳でした)、退院するとなればお迎えに行き入院費も払い、荷物を持って母の肩を支えながら帰りました。

一人で帰すのは不安だと思い、自宅に引き取ったこともあります。

 

そのときは自宅でも母の食事には気を配り、なるべく負担のないように頑張りました。

でも、また入院になって食事がどうこうになったときに、気付いてしまったのです。

 

私、小さい頃よくごはん抜かれていたのに、なんでお母さんにごはん代払わなきゃならないの?

と。

これから死ぬのに?

と。

 

罪悪感とか本当にまったくありませんでした。

いとも簡単にあっさり病院食を切ったのです。

 

私がそう思ったのは、自分にされてきたことと逆のことをして「あげている」矛盾に違和感を持ったのです。

違和感というか、嫌悪感か疑問か。

 

なんで?小さい子どもならごはんを抜いてもよくて、これからよくなるわけでもない病人に、それも全然食べない人に1食460円も払わなきゃならないんだ?と。

それも、小さかった私のごはんを抜いてきた張本人である母親に。

 

よく、虐待は連鎖するって聞きます。

その通りだと思います。

でも、その虐待連鎖をどこかで断ち切らなければならないのは同意ですが、それが自分である必要はないと思うのです。

 

子どもの反抗期に戻りましょう。

上の子の口調が悪くなれば、自然と下の子も態度が悪くなっていきます。

悪気はなくても真似するのですね。

毎度注意しました。

 

それまで散々子どもを虐待しておいて今更ですが、子どもたちは今まで2度保護されています。

親(私たち夫婦)からの虐待疑惑で。

 

旦那は虐待とは無縁の生活をしてきましたが、私の実母の件で私がよくパニックになったことで、ストレスが溜まったようです。

二人で大喧嘩をし、子どもたちを巻き込み、旦那は実家に逃げ、私は孤独になり警察に相談したら子どもたちは保護され、私たち夫婦は児相のカウンセリングを受けることになりました。

これは一度目。

 

二度目の保護は、キレた旦那が私と子どもたちに当たり、怒鳴り声と下の子の泣き声で通報され保護です。

私はそのとき旦那から怪我を負わされたので、児相からの厳重注意は旦那のみでした。

 

この、二度目の保護を受けて、私は「今まで自分がされてきたことは虐待で、同じことはしてはいけなかった。変わろう」と素直に思いました。

一度目にはなぜかそこまで思いませんでした。

 

それが夏の頃。

それから一切手をあげることはなくなり、根気強く注意をしてきましたが、子どもからの反撃を食らっています。

 

自分としては大事に育ててきたつもりの育児期間ですが、親も人間なのでイライラもしますし物だって投げたくなります。

それを、親だからといってダメだというのはおかしいと思うのです。

 

具体的に、子どもからの反撃は、主に暴言、物を投げる、蹴とばす、言うことを聞かない、ですが、それが毎日なのでさすがに疲弊します。

 

疲弊すると、自分を守るために「無」になるしかなくなります。

でないと怒鳴ってしまいそうなので。

 

そうすると投げられた物が飛んでくる、狙ったの?と聞くと「あー狙ったよ!!ばーか!!!」とか、「出てけ!」とか、それでもこっちが冷静でいると物に当たり散らします。

 

何度も、「いい加減にしなさい」と怒ると、そのときだけは大人しくなるのですが、次の瞬間からまた物が飛んできます。

諭そうと何度も話をしますが、結局は子どもの逆ギレに疲れて、私は「無」になるしかなくなる。

 

これ、どっかで見たような…?

あ。これ私が実母に思った感情と同じ。

似てるんじゃない、同じ。

 

気付きました。

それまで散々虐待してきたくせに、何を今さら何か月か手をあげないからって偉そうに!と思うのですね。

きっと。

 

子どもの反抗期なんて可愛いものだとか、たまに聞いたり見たりしますが、「その時」は確実にしんどいんですよね。

 

上の子から投げられたエアコンのリモコンが顔面に直撃し、唇を切りました。

距離が近かったのでしょうが、かなりの命中率です。

鼻血っぽいのも出たので、鼻もダメージ食らいましたね、

治ったのでもういいのですが、投げた物が当たりアザができたりしたことも何度もあります。

 

虐待の連鎖。

私は断ち切ろうと思ったのが遅かった。

子どもに繋がってしまった。

 

きっかけは親でも、虐待ってどこにでも転がっているものだと思います。

 

将来、子どもたちがどう成長するのか分かりませんが、私も実母と同じように年を取り病気になったら食事を切られたり介護をしてもらえなくなるのでしょう。

それは旦那も同じこと。

 

それで思うのが、高齢者虐待について。

 

よく、寝たきりだったり認知症だったりで自宅介護の老人が、同居家族から虐待されるニュースを耳にします。

それまで、その老人がどれほどいい人だったとしても、悪気がなく何度も徘徊や粗相をしてしまえば、介護する側のイライラも積もります。

暴言の一つでも吐きたくなります。

 

「なんでこんな簡単なのができないの!」

「どうして約束を忘れるの!」

「早く死ねよ!」

簡単な言葉です。

が、破壊力も抜群です。

 

認知症ならすぐに忘れてしまうから、かえっていいのかもしれませんが、それもそれでイライラしますよね。

 

私は、もう動けなくなって点滴が繋がれている実母を見て、「早く死ねばいいのに」と思っていました。

本気です。

スマホはいつでもマナーモードを切り、いつでも連絡を受けられるように待機し、たまに来る母からの朦朧としたメールにも励ましの返事をし、寝るときも着信音を最大にして不安になりながら寝る。

「もし真夜中に危篤だって連絡がきたらどうしよう」

そう思って、強い眠剤を飲んでも眠れないときもありました。

「真夜中だったら、寝ている子どもたちを連れて病院に行くこともできない、かといって置いて行くことはできない、旦那実家に連絡するにしても、来てもらうまで1時間はかかるし、旦那にその間子どもたちと留守番してもらうにしても、先に一人で病院に行くのはつらい」

と。

 

実際に亡くなったのは朝なので、出勤直後の旦那に戻ってきてもらい、上の子は延長保育(当時、年中さんでした)にしてもらい、下の子の面倒と上の子のお迎えを義両親に頼み、旦那と電車で向かいました。

急ぎならタクシーを使うはずなのに、やはりどこかで「私を虐待してきて、病気になってからもいろいろたくさんお金を使ってきたのに、死んだときもタクシーなんてもったいない」って思いました。

 

葬儀屋も早くから手配しており、病院には葬儀屋の方が先に着いていたくらいです。

それくらい、私は母を憎んでいたのか。

 

母の死亡保険金の受取人は私でしたが、7か月の入院費や母のアパートの部屋を片付ける料金も払ってくれていた旦那にそっくり渡しました。

 

医師の話では、夏ごろに危ないと聞いていたので9月に母の部屋を解約したのですが、寒くなってから亡くなったので、もう要らないだろうと思って捨ててしまった冬服がなく、最後の方は病院からも服を持ってきてもらえないかと言われました。

そのときも思ったのは、「なんで虐待されてきた私が?あんなに可愛がっていた姉に頼めば?」と母に言いました。

 

「どう思う?昔散々虐待してきた娘にあれこれしてもらうのは?あれだけ可愛がっていたお姉ちゃんは来ないよね?来てるのは誰?私に世話になっているのはどう思う?」と、母に何度も聞きました。

母はうつむいていましたが、謝罪はありませんでした。

 

冬服の件ですが、困った母と病院は姉に連絡をしたようで、姉が通販で安い服をダンボール2箱ほど送ってきたようです。

それだけならまだ孝行娘ですね。

 

明細が入っていました。

レシートのコピーと、姉がエクセルで自作した明細。

母は太っていたので、大きい服しか入らず、私や姉の服は入りませんし、病院でもずっと貸し出すことはできなかったのでしょう。

その明細には、約18,000円と載っており、払ってねと書いてありました。

 

母の死亡後、母のバッグを整理していたら、その明細と封筒に入った18,000円を見つけました。

母のアパートの部屋を片付けたとき、虐待の証拠にもなるような、私に向けての罵詈雑言の日記も何冊もありました。

 

入院費に、部屋を片付けるのにかかったお金、一円も返してもらっていないのに、姉には返すのか…やはり、死に際になっても姉の方が可愛いのか、入院中足繫く通った私よりも、1度しかお見舞いに来なかった姉がいいのか、葬式にも来ない姉の方が好きなのか…

 

一遍にいろいろ思い出して、正直そのとき「無」の感情で母を送り出した気がします。

 

罵詈雑言の日記は、悔しくて泣きながら読みましたが、あまりにもひどいので最後まで読むことはできませんでした。

 

虐待。

母が私にしたこと、私が母にしたこと、旦那が私にしたこと、私が旦那にしたこと、私たち夫婦が子どもたちにしたこと、それらがすべて虐待となるのなら、

今まさに子どもたちから受けていることも虐待になるのではないか。

 

どこで連鎖を断ち切ったらいいのか分からない。

虐待の末、子どもを死なせてしまう親が逮捕されると、「なんで逮捕されるの?」と思います。

子どもたちは愛情のこもった可愛い名前だったりします。

親の年齢なんて関係なくて、産んだ時は虐待して死なせるなんて思わなかったはず。

 

日々のイライラが蓄積されて、吐き出すところもなく、孤独になって、弱いものに当たっただけで、死んでしまう前の事情を知れば、逮捕する案件なんてほとんどないような気がします。

 

親は、虐待と紙一重の場所で育児をしています。

どうか、「子どもを守る」ばかりではなく、「親(保護者)を守る」に目を向けてほしいです。